私と川の道

私がスポーツエイド・ジャパンと大きく関わることになったのは、四年前の「川の道」。

そのときにレースの大きさ、人と人とのつながり、いっしょに旅していく行程、私の求めていた世界がここにあった気がしました。


そして、この四年間で、たくさんの方と出会い、豊かな時間を共に過ごし、ときには試行錯誤しながら悩み考え、少しずつですが人間的にも成長し、何より走ることが持つ偉大さを知りました。


そして昨年は、悲しい出来事がありました。
特別な思いで臨む今年の「川の道」でした。


夢半ばで瀬田さんはレースを中断しましたが、また今年も葛西臨海公園に戻ってきてくれ、いっしょに520kmの旅をする、そんな気持ちでスタートを迎えました。


ゼッケンには「瀬田晃さんの思いを日本海に」という言葉を載せ、スタート前にはランナーが胸のゼッケンのその言葉に手を当てて、フル62名、前半ハーフ32名がスタートを切りました。


そのなかの10名のランナーには、自分のゼッケンと、瀬田さんの永久ゼッケン「81」をつけて走ってもらいます。
もしも、私が選手として参加していたら、彼のゼッケン「81」をつけさせてもらい、彼といっしょに走ることが出来たのでしょうが、私に出来ることは、去年と同じように日本海まで走る選手をサポートすることです。

私なりの瀬田さんとの旅です。

ランナーは、万が一体調や気力の問題でリタイヤすることを選択したとしても、私はサポートをリタイヤするわけにはいきません。

睡眠時間は連日1、2時間あるかないか。
実はお風呂にも二度しか入っていません(笑)。

ランナーもそうですが、私も非日常な6日間を送っていたことになります。
今年は悪天候が続き、ランナーはもちろん、スタッフの皆さんも大変だったと思います。

けれど、これこそが「超ウルトラマラソン」なのだと思います。

ベテランのウルトラランナーの皆さんほど雨対策の装備、走り方、地図読みなど、素晴らしかったです。

特に韓国から参加の朴さんは、一昨年の参加のときに苦労したこともあって、この2年間日本語学校にも通い、読み書きが出来るようにまでなっていらっしゃいました。

そして、朴さんにレース後、新潟で会ったときに「優勝おめでとう!」と伝えると、「私は自分一人では優勝出来なかったです。いっしょに走ってくれた吉岡さんがいてくれたから、優勝できました」と。

努力と謙虚な姿勢が今回の優勝に結びついたのだと思います。


他にもたくさんの素敵なランナーがいました。

いつもニコニコ笑顔で走っている姿ちゃん。
でも、途中で預かっていた「81」のゼッケンをどこかで落としてしまい、半べそをかきながら走っていたそうですが、仲間の飲兵衛さんが急遽新しく手書きのゼッケンを作ってくれたそうです。
また、落としたゼッケンは後続のランナーが拾ってくれたとのこと。

川の道を初めて走ったガッチャゴンも、事故の新聞の切り抜きを持って走り、瀬田さんの思いを届けてくれました。


楽松師匠はゴール後に提出するチェックポイント記録表に自分のゼッケン番号と瀬田さんのゼッケン番号が記入してありました。
たくさんの方が瀬田さんを日本海に連れて行ってくれました。


私もレース中、一度だけ日本海CP25に行く機会がありました。

ゼッケンも持っていないし、どうすれば彼の思いを届けることになるのか…。

実はスタートした30日にコースを外れて事故現場に寄り、レース前に代表と選んで用意していた、彼のイメージに合うお花を植えてきました。

私は、明るいオレンジの花を思い浮かべ、瀬田さんになったつもりで日本海に向き合いました。

長い長い一年間が、やっと終わりました。
でも、これで終わりではありません。

「川の道」が続く限り、来年も、再来年も、私は彼といっしょに旅をしていきたいと思っています。

私と川の道。
ランナーの皆さん、ボランティアスタッフの皆さん、私設エイドを出してくれた皆さん、こまどり荘、小諸グランドキャッスル、かみや、ホンマ健康ランドの関係者の方々、ありがとうございました。

皆さんのおかげで、今年の「川の道」を無事に開催できました。
いい旅が出来ました。


また、来年も「川の道」でお会いできますように。