ゆめのつづき

レース中に私の筋肉を支えてくれたものは、メダリストでした。http://www.arist.co.jp/index.html
これは私が毎日愛飲しているサプリメントなのですが、今回のレースでも大活躍でした。
またオフィシャルエイド・コース500メートル手前の位置とトラック脇にメダリストウォーターが置いてありました。多くのランナーの走りをサポートしたことでしょう。
ありがとうございます。


走り初めてすぐに痛めていた右足底筋は悲鳴を上げたのですが、痛み止めを飲みなたくなかった為(いつもお腹が痛くなり下痢するから)我慢しながら走っていました。

そしてやっと…やっと一区切りである100kmに到達。
予定通り10時間50分くらい?でした。
その頃club MY☆STARエイドは6時間走を終えたみんなや、わざわざサポートだけの為に来てくれたメンバーが集まってくれて『最強サポート隊』になっていました。
100kmで少しお休みしたかったので、椅子に座ってゆっくり給食・素麺を食べ、栄養ドリンクを飲み、我慢の限界だったので痛み止めを飲みました。

こんなに走ってるのに、ほんとに…やっと100km。
富士五湖や野辺山の100kmよりもスピード遅いし、コースは楽なのに、身体が比べ物にならない程、酷使されている感じ…情けないデス。
果たして、ここから何km走れるんでしょうか…。

でもサポートのみんなから元気をもらって再スタート。一緒に走ってる仲間も頑張ってるのだから私も頑張らないと!

順位はマックから今1位だよと教えてもらいました。かなり抑えて走っていたので、周回遅れになっていると思っていたから、これにはびっくり。
でも、ここまでの順位はあってないようなものです。
ここからの走りが大変なんですよね。
しかも夜中からはとうとう雨が降ってきました。時には激しい雷雨です。
そして定番の下痢が始まりました。オマケに生理まで始まる始末。

ウエアをロングに着替え、重ね着しその上にビニール袋を被って走ります。

雨が止んだらビニール袋を脱ぐの繰り返し。
そんなことを明け方まで繰り返しました。
そんな私に…目が覚めるような事件が!
どこからどーみてもイケてない私にストーカーおじさんが現れました。

テントスペースから毎周回応援してくれるいいおじさんだったんですよ…。

でもおじさんが私と一緒にとうとう走り始めちゃいました。
ぴったり横を伴走し、私のペースが遅くなったりすると振り返り、給水では待っててくれました。
うーん、このおじさんをどうやって巻いてやろう…。元気な私ならスピードアップ出来るのだけどそれは無理だし…。

でも『やめて下さい』とは言い出せません。
この心理は伴走された者しか分からないのだと思います。


おかげで眠気は覚めたけれどペースと心理状態が乱れました。

お付き合いすること4周目。堪りかねて仲間にそっと耳打ち。『アノオジサンドウニカシテ』

そしたら次の周には、しっかりリーダーの岩本くんが止めに行ってくれました。
こんな時まで…岩本能史カッコ良すぎる(笑)

次の節目100マイル→160kmがやっときました。
正直、私がしっかり記憶残っているのはここまで。
あとは、もうぐるぐる回るだけでした。
何が辛いって…トイレが異常に近い。
完全に脱水です。
1周か2周毎にトイレ通い。
我慢出来そうになく競技場の中のトイレ(コースアウトしてキツい階段がある方)にまで遠征も。

このオシッコ病は脱水症状なんですよね。
下痢と雨で水分を取るのが不足してしまったのでしょうか?

そして、残り3時間のところで気持ち悪くなり、茂みを探しては吐くの繰り返し。
1周に20分くらいかかってしまいます。
とうとう自転車で巡回中の大会側のドクターに見つかり医務室へ行きましょうと勧告されました。
でも、あと2時間のところで止める分けにはいかない。『大丈夫です。テントに戻って休みますから』→嘘っぱち。

歩いたり、走ったり、トイレ行ったり…残り2時間はその繰り返し。
今自分が何kmくらい走っているのかは全く分かりませんでした。もちろん順位も。

200オーバーが見えていただけにもったいないのですが、これは私がレース前から『200』という数字に強く拘れなかった結果だと思います。
もっと強い意思で目標をきちんと200としていれば違った結果が出せた気がします。
サポート隊から1周○分○秒で、1時間で○周走れば200行きます!と指示が出ているのですが、タイムを計るのさえ押し忘れいて、今の1周が何分くらいで走れているかが分からず、またさっき告げられた○分ペースというのも、走っている内に忘れている始末です。
こんなにも親身になってサポートしてくれてるみんなにただただ申し訳なかった…。本当にごめんなさい。

辛くて、足痛くて、悲しくて、どーしようもない時、ウエアの胸のロゴ『MY☆STAR』を握りしめました。
何度も…何度もきつく握りしめました。
私は一人で走ってるわけじゃない。
みんなに走らせてもらってる。
本当にみんなに感謝です。


そして、フィナーレへ。
一緒に走っていた☆仲間の境祐司くん、YUJIがもう1周行く!と競技場を出て行きました。私は『ゴール前で待ってるからね。一緒にゴールしよう』と声を掛けます。
何て力強い走りをしているYUJI。
彼は結局258.04kmというもの凄い数字を出しました。
国内の歴代最高記録達成。
最初の6時間はサポートなし、コースはリレーの人でごった返しているし、コーナーも多い、天候不良で足元水溜まりだらけ、この24時間走の個人レースをするには相応しくない悪条件にも拘わらず、この数字を出してきたYUJI。
この何年間私が見てきた24時間走の中で最も素晴らしいレースをした人だと思います。

YUJIとは今から10ヶ月前…6月の夢の島で必ず一番高い所に上がろうね!と約束を交わしました。
その約束が今叶えられようとしています。


☆エイドでclub MY☆STARのフラッグを受け取りました。
重くて持てない…。ヨロヨロしてたら同じく☆仲間のいしだっとクンが来てくれて、一緒にゴール前まで運びました。
Rinちゃんも来ないかなぁ→先にゴールしてたそうです。残念…。

そして24時間ギリギリ1分前にYUJIがゴール前へ。
3人でフラッグを掲げゴールです。

おめでとう、YUJI。
ご苦労様、いしだっとクン。

そして、たくさんの☆メンバーがゴールで迎えてくれました。
一人、一人に『ありがとう』と。握手。ハグ。

最後までみんなに走らせてもらって…本当に幸せでした。
涙が止まらなかった。

200走ってみんなにサポートのお返しがしたかったのにそれが出来なくて申し訳なかった。ごめんなさい。

色んな涙が出て止まりませんでした。


…と、ここから更に記憶が薄れます。
表彰式はただひたすら寒くて震えてました。
優勝コメントを『サポートの仲間のおかげです』と言おうと考えていたのに、具合悪そうな私の姿を見た司会のミドリさんにコメントは無しにしましょう…と飛ばされちゃいました。
みんな…ゴメン。

そして、シャワーを浴びて、着替えを終わったところでとうとうひっくり返った。ドテッ。

這うように玄関のソファーへ。そこから担架で医務室へ。
家族に車で迎えに来てもらい、途中の高速でも車を止めてもらい吐きまくり、家に帰って一晩吐きまくり、翌朝病院で点滴してもらいようやく生きがえりました!
落ち着いて足の爪見ると4枚剥がれてました。
左足の太ももが2倍に膨れ上がりました(パンツが履けませんでした)。筋膜炎です。→未だに牛歩。

あぁ〜ここがギリシャじゃなくて良かった。日本に帰って来れない。
ギリシャには杖を持って行きます!



夢の島…。
今年も長い一日が終わりました。
たくさんの『夢』をありがとう。
このレースを走った人、ボランティアの人、サポートをしてくれた人、遠くから声援送ってくれた人…このレースにかかわった全ての人が『走る』という同じ『夢』を 見たんだと思います。
そして、また一人一人の新たな夢に向かって走り始めましょうね。


2007 夢の島 197.62km 優勝