それは、2003年4月のこと。
一生に一度と思ってチャレンジしたチャレンジ富士五湖100kmウルトラマラソン

結果は47kmで積雪の為レース中止。
不完全燃走でこのままじゃ終われない。
他の100kmレースを探すと、6月に第1回夢の島24時間リレーマラソンという大会があり、個人でも参加可能。
この時、初めて『24時間走』という競技があるのを知りました。
ただ、私の場合は24時間あれば100km完走出来るはず!と思っての申し込みです。
その頃の私は、フルをサブ4で走れて喜んでいた普通のランナーでしたから。


そして、1周1kmちょっとのコースをハツカネズミのようにぐるぐる走り続け、100kmを夜中にゴールしました。13時間台だったかな。

そして、自分のレースは終わったとばかりに、朝までテントで爆睡です。
早朝に目を覚ますと、みんな走っています。
そうです、まだまだ24時間走は続行されていたのです。

リレーの部の方がほとんどでしたが、個人で走り続けている人もいて、本当に驚きでした。

その光景を見ていて、私も走ろうって、思ってしまったんです。


ウルトラから超ウルトラの世界に足を踏み入れた瞬間です。

その後に結局146km(だったかな?)まで距離を伸ばし、女子の部優勝。とは言っても3人くらいしかエントリーいなかったはずです。


でも、すごくすごく嬉しかった。参加していたランナーからもらった、たくさんの『おめでとう』の言葉。ラストの周回でのハイタッチ。『ありがとう』を繰り返し、涙が止まらないゴールになりました。


2004年6月、夢の島
2回目の24時間は156kmくらい(これまたはっきり覚えてない)で、準優勝。

2005年6月、やっぱり夢の島
3回目にしてやっと188km、優勝。

2006年は、台湾の24時間走へ。
193km。

そして、2007年6月にまた夢の島に帰ってきた。
197km、優勝。

この時の24時間走が一番辛かった。ゴール後に担架で運ばれ医務室へ。典型的な脱水。
しばらく休んでいたけれど一向に良くならず病院へ。
点滴2本打ってもらいました。
足の爪は6枚剥がれました。


それから、スパルタスロンを走り、初めて200km超え。
200kmを超えると、さらに別の世界の超ウルトラのような気がした。
でも、One-wayは旅をしている気持ちが大きいので私には合っている。



24時間走はもう二度とチャレンジしたくないって思ってた。
なのに、迷いに迷ってエントリーしてしまった。

私の夢、200kmを超えるために。
明日、もう一度、夢の島に戻ります。
夢を叶えるために走ります。

この夢の島をきっかけに知り合った多くの仲間の為に走ります。