お元気ですか?
地震怖かったね。
あの日の私は、いつものように職場の窓口で接客中。
相手は、高校生の男の子。
最初のグラッが来た時には、「このビル耐震になってるから大丈夫ですよ」と。
すると、私の後ろにあった棚のがミシミシ音を出し始め、軽い調度品が飛んできた。
「机の下に隠れて」と伝え、私もカウンターの下へ潜り込む。
その後は、パニック状態になってしまった。
全身が痺れ、腰が抜けて全く動けなくなった。
一緒にいた同僚に後から聞くと、泣きながら「やめて、壊さないで」と言っていたらしい。
あの16年前と同じように日本のどこかが壊れている事を感じた。
あれから、2週間。
地震そのものより、今日までの日々の方がもっと大変だった。いったい、いつ「普通の日」が戻ってくるのだろうか。
今回の地震では、被災者でなくとも、みんな多かれ少なかれ、大人も子供も(我が家は犬も)ショックを受けています。
もちろん、被災者の本当のショックは、遭った人にしか分からない。
私は16年前に阪神大震災で被災をしました。
お腹の中には8ヶ月になる赤ちゃんがいました。
地震後に体調が悪くなり早産の恐れが出て来ましたが、病院にやっと行っても、お水も電気もガスも復旧してなく、ロビーにはたくさんの怪我をした人がいました。
野戦病院ってこのこと?
その時に出来ることは、私がこの子を守るしかない。
そして私に出来ることは、無理をしないでじっとしていることだけでした。
でも果たして、こんな時に生まれてきても、この子は幸せになれるんだろうか?
未来はあるんだろうか?
本当に辛い時には、涙は出ませんでした
周りの安否を心配してくれ電話を頂いた人に「無事で良かったね」と泣かれても、こっちは泣いてる場合じゃないんだよ、「頑張ってね」と言われても「何を頑張ればいいんだよ」って、素直に聞けない時こそありました。
地震から一月半後、ひな祭りの日に娘が生まれました。
私は妊婦なのに体重が妊娠前よりわずか4Kgしか増えていませんでした。
そして、16年後。
誕生日のお祝いをした1週間後にあの地震。
自宅には、娘と83歳になる母と犬。
後で母から「みぃちゃん(娘は家族にこう呼ばれています)がね、地震の時に、二階から降りてきて、私を守ってくれたんだよ。余震の度にも、私を庇ってくれるんだよ」と教えてもらいました。
そして隣の家に住む一人暮らしのおばさんにも「お嬢ちゃんが、地震の後にすぐに大丈夫?って訪ねに来てくれたんだよ」って聞きました。
16年後にちゃんとここに未来がありました。
日々の仕事に追われ、通勤するだけで疲れ、計画停電に右往左往し、余震と原発に怯え、目標にしていた、楽しみにしていたマラソン大会の中止や延期…きっとみんなそれぞれが色んなことを日々抱えて送っていることでしょう。
私も、元気になったり、元気をなくしたり、感謝したり、イライラしたり。
でも、元気でいましょう。
またみんなで笑え合える日が来ることを信じて。
元気な身体と心を持っていれば、被災地の人の支援も応援も出来るし、人として哀しい行動を取ることはないでしょうから。