2011.オクム

ずいぶんご無沙汰デシタ。

ちゃんと?何とか?生きております。

登ったお山は、御嶽山(百名山)、富士山剣ヶ峰(百名山)、三ツ峠(二百名山)、仙ノ倉山(二百名山)、大東岳(東北百名山)。

また毎週末ウルトラ美女部の部活。

キタタンは体調悪くてDNS富士登山はお腹痛くてトイレに駆け込み、8合目で関門アウト。
ボランティアスタッフは、スポーツエイドの三種目耐久&8耐と奥武蔵ウルトラマラソン、OSJのおんたけ100マイル&100km。

でも、何ていっても、やっぱり夏はオクムかな。
いろいろあったけど、忘れることが出来ないくらい強烈なオクムになりました。


大会終了して仲間のみんなに送ったメッセージメール↓

やっぱりオクムは私にとって大きい存在です。

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走ったみなさん、ボランティアスタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした。

今回の奥武蔵、前日準備もスタート後もあまりにも順調で、かえって何かこのあと、とんでもないどんでん返しを受けちゃうんじゃないかと思ってしまうくらい、平和な始まりでした。

みんなのゴールを本部で待ちながら、お出迎えの準備を進めて行きます。
各エイドでは、いくつかのトラブル発生もありましたが、ボランティアのみなさんも工夫をしてくださってやって下さってるようです。
こういう時に現場にいけないのが一番辛いです。


そして、トップの選手が5時間30分少し前に到着してからは、次々とみんなが帰って来ます。

何でしょう…。
私にとって一人一人のゴールが「お帰りなさい」なのです。

みんな汗いっぱい!
やっと終った〜という安心感や、やりきった!!っていう満足感や、なかには感動で涙でゴールされる方、側で見ていて、こっちまで嬉しくなったり、ホッとしたり、うるうるってなったり。


また美女部のメンバー(17人)も一人、また一人ゴールに戻ってきてくれました。

みんなのゴールは私にとってのゴールでもあるので、心から嬉しくてゴールアナウンスも忘れてしまい「お帰り〜」ハグハグ。

きっと77kmの道のりは簡単じゃぁなかったでしょうね。
何度かもうやめちゃおうかぁ…って思ったりもしたんじゃないかな。
それでも一人のリタイアを除いて、みんな戻ってきてくれました。
ありがとう、みんな。
嬉しかったよ。


また、17時頃から始まったあのゲリラ豪雨
雷。突風。
こんな経験はもちろん初めて。

傘は2本骨が折れて使い物にならなくなったし、突風にあおられゴールゲートの真ん中から本部テントまで身体が持って行かれました。
会場内の販売ブースのテントは小さいので次々と飛ばされていきます。
また停電で記録証も出せなくなりました。
(計測は出来ています)


こんな状況でレース続行して大丈夫なのか、山はどうなっているのか…ユガテの美女部エイドのメンバーは大丈夫なのか。
心配は尽きません。

もちろんまだ走ってる美女部メンバーもいるはず。

こんなすごい中ランナーのみんなもすごく怖い思いをしながら走ってゴールに向かっていると思うと、いてもたってもいられず、「テントに戻れ!」という実行委員長の声も聞かずに、ゴールゲートに仁王立ち?


大丈夫!こんな雷雨に負けちゃぁいられない。一人一人のゴールをしっかり迎え入れてあげなきゃって、自分に渇をいれました。

今から考えると、頭にはウィッグのピンやら髪飾りの金属やら、色んな雷の的になりそうなものがいっぱいあったんだよね。
しかも、立ってるだけなので寒くて身体がガタガタ震えています。

ゴールしてきた選手と握手をすると、「お姉さんの手めちゃくちゃ冷たいよ。大丈夫?」って逆に心配されてしまいました。


美女部の最終ランナーが入ってきて頑張ったねって抱き締めると、「恵美さん、ごめんね。たくさん待たせてしまって」と。
とうとう涙が出てしまいました。


そして、最終ランナー。
ブラインドランナーと伴走のさかこちゃん。
さかこちゃんは、私の大好きなランナーの一人です。
スタッフもいっしょにやったりするので、ランナーとしてよりも女性として大好きかも。

一人で走るのだって大変な状況なのに、最後まで本当に良く頑張ったさかこちゃん、輝いてたよ。


走ってはいないけれど、記憶に残る大会がまた一つ増えました。


色んなことがあったけれど、私はやっぱり「オクムは最高」だと思います。

この嵐を乗り越えたこと、無駄にはしません。


暑い、熱い、そして激しい、「真夏の祭典・奥武蔵」を一緒に過ごしてくれて、本当にありがとう。ありがとう。